インクル117号 2018(平成30)年11月25日号 特集:スポーツを共に 目次 第3回目が見えない見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト表彰式開催 2ページ 2020東京パラリンピックにむけて 4ページ 視覚障がい者と健常者が混ざり合う社会へ 6ページ デフリンピック 7ページ ダーツ 8ページ 障がい者スポーツ吹矢 9ページ 筑波大学附属視覚特別支援学校の運動会 10ページ スポーツ弱者を、世界からなくす。―ゆるスポーツの挑戦― 11ページ キーワードで考える共用品講座第107講「共用品とスポーツ」 12ページ 片手でも使えるモノ展 報告 13ページ 杉並区良かったこと調査 14ページ 第16回福祉まつり(千代田区)に参加 14ページ すぎなみフェスタ2018 14ページ 本間一夫文化賞を受賞して 15ページ 書籍紹介『品質を支えるアクセシブルデザイン』 15ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 2ページ 第3回目が見えない見えにくい私だから考えついた ”とっておきのアイディア”コンテスト表彰式開催 平成30年11月3日、「サイトワールド2018」にて、第3回「目が見えない・見えにくい私だから考えついた〝とっておきのアイディア〟コンテスト」の表彰式を開催しました。 今回のコンテストには、盲学校の部で46名、53作品、一般の部で36名、62作品の応募をいただきました。 今年で3回目の開催となるこのコンテストは、第2回と比較すると、一般の部の応募総数は減ったものの、盲学校の部は1.5倍増加しました。 アイディアの内容は、盲学校の部では、夢があり、ユニークな作品、実現可能性の高い作品など様々な作品がありました。 一般の部では、日常生活の不便さを解消し、より豊かな生活を送ることができるようにするための作品が多く見られました。 それぞれのアイディアは、移動、衣服、医療機器、家電製品、金融、光学機器、住宅設備、情報、食品、書籍、日用品、文房具、玩具などの分野に亘り、 どれも今後の製品開発のヒントになりそうなものばかりでした。 審査は審査員会にて厳正に行い、盲学校の部、一般の部、ともに以下の3つの視点から、 最優秀賞(盲学校の部2名、一般の部1名)、優秀賞(各部2名)、入賞(各部5名)を選定いたしました。 1.夢のあるもの(非現実的なものであるが、夢があり希望が持てるものなど) 2.実現可能性があるもの(現実的であり、製品化可能なもの、あるいは少しの工夫で製品化ができそうなものなど) 3.ユニークさ(斬新さ)があるもの(アイディアの内容がユニークであり、楽しみの持てるものなど) **盲学校の部** 盲学校の部で最優秀賞に輝いたのは愛媛県立松山盲学校高校3年生の松浦佑美(まつうらゆみ)さんの、 視覚 障害のある人のために考えた「ファッションお助けアプリ オシャレっこ」と、 埼玉県立特別支援学校塙保己一学園中学2年生の河野玲那(こうのれな)さんが弱視の人のために考えた「軽々デスク」でした。 いずれも、多くの視覚障害のある人達の持つニーズであり、夢のある作品でした。 **一般の部** 一般の部の最優秀賞は、視覚障害のある人や盲ろうの人にとって嬉しいアイディアで、実現が望まれる「立体手書きデジタルパッド」でした。 今年の入賞作品 *盲学校の部* (優秀賞2作品)」 近藤未來(こんどうみく)さん「何か落としたときに運んできてくれる小さな車」 大澤孝樹(おおさわこうき)さん「点字付き音声自動販売機」 (入賞5作品) 日渡優花(ひわたりゆか)さん「タッチコンタクト」 遠山作弥(とおやまさくや)さん「案内乗車口」 山口達也(やまぐちたつや)さん「食べ物の情報を教えてくれる箸」 町田天音(まちだてん)さん「らくらくプレート」 稲葉潤也(いなばじゅんや)さん「空席チェッカー」 *一般の部* (優秀賞2作品) 近藤貞二(こんどうていじ)さん「アイ・アシスター」 橋本隆夫(はしもとたかお)さん「クローゼットコンシェルジュ」 (入賞5作品) 上岡三誉(うえおかみよ)さん「STT(盲人卓球)サポートロボットとマラソン練習サポートロボット」 内田多美子(うちだたみこ)さん「ここどこウォッチ」 岡田太丞(おかだたいすけ)さん「カラオケナビゲーション」 田村昇(たむらのぼる)さん「顔面相似器『たま(球)ちゃん』」 山田夢(やまだゆめ)さん「お夢のブレスレット型屋内ナビ」 受賞作品は以下からご覧いただけます。 〈第3回〝とっておきのアイディア〟コンテスト――共用品推進機構〉 http://www.kyoyohin.org/ja/exhibition/ 森川美和(もりかわみわ) 写真1:ビデオレターを寄せてくれた最優秀賞受賞の松浦佑美さん 写真2:最優秀賞の河野玲那さん 写真3:特別支援教育調査官と会話をする受賞者(左)、青あおき木隆りゅういち一文部科学省初等中等教育局視学官(右) 写真4:表彰式を終えて~受賞者のみなさんと審査員の皆さんの集合写真~ 写真5:最優秀賞 矢やばたみゆき端美幸さん(写真右) 4ページ 2020東京パラリンピックにむけて (公財)日本障がい者スポーツ協会 企画情報部長 井田朋宏(いだともひろ) 障がい者スポーツの夜明け1964年東京パラリンピック 1964年に東京パラリンピックが開催された当時の日本は、 障がいのある人が働いて自立した生活を送ることが非常に困難な時代でしたので、スポーツを楽しむという状況ではありませんでした。 一方、海外の選手たちの多くは経済的に自立し明るく溌剌としており、日本の福祉施策の遅れを浮き彫りにしました。 しかしこの大会を契機に障がいのある人の社会参加や自立にスポーツが有効であることが認められ、 翌1965年に 東京パラリンピック運営委員会の残余財産を引き継ぎ当協会が設立されました。 また同年から当協会、厚生省(当時)、開催地の三者主催による全国身体障害者スポーツ大会がはじまるなど、 東京パラリンピックの開催を契機として、障がいのある人のスポーツ振興が始まりました。 ただし所管は厚生省でしたので、あくまでも福祉施策の一環としての船出になりました。 世界的な流れとの乖離に危機感 大会への参加条件が比較的緩やかであったパラリンピックも、1989年に国際パラリンピック委員会(IPC)が創設されたことを契機に、 世界の頂点を争うエリートスポーツ大会へと急速に向かっていきました。 一方、日本の障がい者スポーツは、福祉施策の一環として進められてきたため国による強化支援は少なく、また選手強化を総合的に担う組織もありませんでした。 競技別の中央競技団体もわずかにあるだけの状況でしたので、「このままでは日本から誰もパラリンピックに出られなくなるのではないか」と関係者は危機感を募らせていました。 競技スポーツへの関心を高めた長野冬季パラリンピック 1998年の冬季パラリンピックが長野県に決まったことを受け、障がい者スポーツに対する国の支援も従来に比べて厚くなりました。 当協会においても、夏季競技に比べて普及が遅れていた冬季競技に出場できる選手の発掘や強化目的の大会開催に力を注ぎました。 その結果、日本代表選手は金12個、銀16個、銅13個を獲得する大活躍をし、福祉施策の枠組みを超えた競技スポーツとしての価値が高まりました。 そして翌年、競技力向上のための統括組織として、日本パラリンピック委員会(JPC)が当協会の内部組織として設立されました。 障がい者スポーツへの追い風 オリンピック・パラリンピックの日本招致活動が進む中、2011年に「スポーツ基本法」が公布されました。 この法律には、障がいのある人のスポーツ権についても言及されており、障がいのありなしに関わらず誰もがスポーツの価値を享受できる社会の実現に近づくための土台になりました。 このような中、2013年9月に2020年のオリンピック・パラリンピックの東京開催が決定し、 さらに2014年には障がい者スポーツの所管が厚生労働省から文部科学省に移管されるなど、障がい者スポーツへの追い風が吹いてきました。 障がい者スポーツの将来像 当協会では、2013年3月に「障がい者スポーツの将来像(ビジョン)」を発表し、スポーツを通じた共生社会の実現をめざしています。 ビジョン実現に向けた取り組みの大きな柱は、障がいのある人が日常的にスポーツを楽しめるようにする「普及・拡大」と、選手が国際舞台で活躍できるようにするための「競技力向上」です。 この両面を好循環させながらバランスよく発展させてビジョンを実現するべく事業を推進しています。 東京パラリンピックにむけて 2020年に開催される東京パラリンピックを一過性の国際イベントとして終わらせるのではなく、大会を大成功させビジョン実現を加速させる起爆剤にしなければなりません。 当協会における「大成功」の定義は、「満員の会場の中で日本代表選手が大活躍すること」です。 トップ選手の強化については、国や関係団体と連携し、高度なトレーニング環境の整備・提供や、選手を支える競技団体の支援を行なっています。 また、会場を満員のお客さんで埋め尽くすことについては、障がい者スポーツの認知度向上に主眼を置いて取り組んでいます。具体的には、自治体や関係団体と連携し、体験会や選手との交流会を実施したり、主催大会に世界のトップ選手を招待してスポーツの魅力を知る機会を増やしたりしています。しかし、実際に会場まで足を運び声援を送っていただくためには、それだけでは足りません。メディアはもとより、国・自治体、学校、企業、関係団体等、様々な組織と連携してパラリンピック・ファンを増やしていき、すべての競技会場を満員のお客さんで埋め尽くしたいと願っています。 東京でパラリンピックを開催する意義 パラリンピックは、オリンピック同様、世界のトップアスリートが集い、磨きぬかれた技術やプレーで観客を魅了する世界最高峰の大会です。 しかし、パラリンピックにはそれだけに留まらない意義があります。 「レーサー」と呼ばれる競技専 用の車いすに乗って疾走する選手や、口で矢を放つアーチャー、競技専用の義足で走高跳に挑む選手など、 様々な障がいのある選手たちが創意工夫を凝らして限界に挑み活躍するパラリンピックは、多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場です。 また、社会の中にあるバリアを減らしていくことの必要性や、発想の転換が必要であることにも気づかせてくれます。 2020年の東京パラリンピック開催を契機に「人々の認識を変え、社会を変える」。これこそが2020年に東京でパラリンピックを開催する意義ではないかと思います。 写真1:1964年東京パラリンピック開会式(JPSA/X-1) 写真2:パラアイスホッケーは長野大会出場に向けて選手を発掘・育成(JPSA/X-1) 写真3:口で矢を射るアーチェリー選手(JPSA/X-1) 写真4:競技専用義足で走高跳に挑む選手(JPSA/X-1) 6ページ 視覚障がい者と健常者が混ざり合う社会へ 特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会 松崎英吾(まつざきえいご) 私たちの目指すもの 日本ブラインドサッカー協会は視覚障がい者のサッカーを統括する競技団体です。 障がいの程度に応じ、「ブラインドサッカー」というアイマスクを装着し、音源の入ったボールでプレーするものと、 「ロービジョンフットサル」という、フットサルに準じたルールで、弱視の選手が主にプレーするカテゴリーの2つがあります。 2002年より活動を始め、2009年にビジョン(理念)である「ブラインドサッカーを通じて、視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を築く」ことを掲げました。 ブラインドサッカーは、視覚障がい者が主な対象者で、スポーツを通じて、社会参画の機会が広がったり、運動能力が向上したりすることで、 クオリティ・オブ・ライフの向上に寄与しようとするものです。 しかし、障がい者を取り巻く課題は、社会にもあります。だれもが頭では「共生社会」の大切さを感じていますが、 偏見やステレオタイプなく、障がい者とともに生きることは、まだまだ日本では難しい状況だと捉えています。 心のバリアフリーをスポーツで いわゆる「心のバリア」に、スポーツならではの方法でアプローチできるのではないか? そのように考えて実施しているのが小中学生向けの体験学習プログラム「スポ育」です。 これらは視覚障がい者ではなく、健常者を対象にしています。サッカーという、笑顔で出会え、楽しみながら障がいや障がい者を知れることは、他に機会を得難いものです。 また、「障がい理解」を目的にするのではなく、「チームワーク」や「信頼関係の構築」などの視点から、プログラムを実施し理解を主目的にしています。 それは、障がい理解を目的にすると、かえって障がいを特別なものと見なしたり、障がい者に対する偏見やステレオタイプを隠すことにつながったりするためです。 障がいを利活用し、他の目的を目指すほうが、障がい理解が促されるのです。 いまでは、小中学生向けだけでなく、大人向けの体験プログラム「オフタイム」や、企業研修も実施しています。 これらもテーマはチームビルディングやコミュニケーションの見直し、ダイバーシティの理解などを目的にしています。 そして、その結果として、障がい理解に繋がります。 ブラインドサッカーをはじめとする障がい者スポーツは、社会の多様性の理解促進や変化を生み出す力を持っています。 その可能性をさらに切り拓き、「混ざり合う社会」を目指していきます。 写真1:代表のプレー c日本ブラインドサッカー協会 写真2:スポ育の様子 c日本ブラインドサッカー協会 7ページ デフリンピック はじめに 2017年7月、トルコのサムスンで、「サムスンデフリンピック2017」が開催され、日本は金メダル6、銀メダル9、銅メダル12を獲得しました。 バレーボール女子は、16年ぶりの金メダル、表彰台の選手たちが手話で斉唱した君が代には、会場中から両手を上にあげ、手をひらひらと動かす「拍手」が長く続きました。 水泳の藤ふじわら原慧さとい選手(日本大学)は、400・1500メートル自由形、400メートル個人メドレーで金、その他銀メダル4、銅メダル2、と合計9ものメダルを獲得しました。 日本選手団は、選手108名、スタッフ69名、合計177名が参加し、21競技のうち、陸上、バドミントン、テニス、卓球、水泳、 サイクリング、マウンテンバイク、空手、ビーチバレーボール、サッカー(男子)、バレーボール(男子・女子)の11競技に参加しました。 デフリンピックとは デフリンピック(Deaflympics)は、身体障害者のオリンピック「パラリンピック」に対して、ろう者のオリンピックです。 1924年に第1回夏季大会がフランスで、49年に第1回冬季大会がオーストリアで開催されました。 運営は国際ろう者スポーツ委員会(International Committee of Sports for Deaf:ICSD)が行っています。 ICSDには、日本を含め現在108の国と地域が加盟しています。 デフリンピックの特徴は、運営を当事者であるろう者自身が行うことと、参加者はコミュニケーションを、国際手話で行うことです。 開会式・閉会式でのスピーチの通訳、競技中の説明などは、全て国際手話で行われます。デフリンピックでは、コミュニケーションに一番重要な言語も国の区別なく共通なのです。 デフリンピックの規則 基本原則では、下記の4項目がデフリンピックの目的として示されています。 ・スポーツを基本とする身体・精  神の質の向上、促進をはかる。 ・ろう者が高レベルのスポーツ競  技に参加する機会を提供する。 ・4年に1度のスポーツ競技にて世界  中から選手を集める。 ・国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)  の基本理念を世界中に広め、それ  によりろう者の国際親善を築く。 視覚的な合図 各競技では、音や音声の合図が、見る・触れる合図に変わっています。 たとえばサッカーでは、ルールはオリンピックと同じですが、タッチラインにいる2人の副審が掲げるフラッグ(旗)を、 主審と、各ゴールの後ろにいる2人、合計5名の審判員が持ち、プレーの停止を多方向から選手に伝える仕組みになっています。 また、空手競技では、審判が旗を上げる他に、各コーナーのランプが、試合中は白、試合が中断する時には赤のランプになります。 さらに、試合コートの外側一周にも白と、赤のランプがあり状況に白から赤に変わります。 バスケットボールでは、ゴールのバックボードが光り、審判の笛が分かるようになっています。 まとめ 現在使用されている「見て分かる合図」は、障害者権利条約、障害者差別解消法で謳われている「合理的配慮」にも応用できるものが沢山あります。 それらの工夫の元に行われるろう者のスポーツを、多くの人が見て、興味をもち、近い将来日本で、デフリンピックが開催されることを強く願います。 手話で斉唱された「君が代」は左記の2時間17分33秒頃からご覧いただけます。 http://www.jfd.or.jp/sc/samsun2017/arc/2302 星川安之(ほしかわやすゆき) 写真1:空手競技のコーナーのランプ 写真2:手話で斉唱された「君が代」 8ページ ダーツ ダーツの歴史とルール ダーツは今から560年前、イギリスの兵士が余暇時間に、的をめがけて矢を射って競ったのがはじまりと言われています。 その後、矢を短くし弓の代わりに手で投げあう競技に発展し、1896年に現在のルールが確立しました。 あるとき、杉並区のNPO団体の活動紹介の催しで、見慣れた高さのダーツの的に加え、少し低い位置の的、 マグネットの矢を受け止める素材の的、そして、床に広げられた的をみかけました。 「これは、矢を投げるのが困難な人も、ダーツを楽しんでもらいたいと考案されたものです」と説明してくれたのが、NPO法人プロップKの石山恵子(いしやまけいこ)代表でした。 「プロップ」とはラグビー用語で「支える・支え合う」を意味する語。平成17年に「いつまでも健康な心身を保ち、互いに安心して暮らせること」を目的に発足。 翌年から、杉並区の設置した「ゆうゆう館」2館の運営を任されました。 そこで、石山さんが導入したのが「ダーツ」。公益社団法人ダーツ協会の協力を得て「ゆうゆう館」での開催講座に加えると、瞬く間に同施設の人気講座となりました。 「ダーツの的の高さは通常、床から的の中心まで173センチですが、『車椅子使用の人が競技する場合133センチとする』と公式ルールで定められ、 障がいの有無にかかわらず公平にプレーできるようになっているんです」と、石山さんは教えてくれました。 日本障がい者ダーツ選手権大会 障がい者ダーツ選手権大会は、男子シングルス、女子シングルスに分かれ、それぞれトーナメント方式で行われます。障がいの種別、程度、年齢は区分なく、対戦相手が組まれます。 じゃんけんで勝った人が先行となり、2メートル37センチ離れた場所から、1回に3本の矢を的に投げます。 私が見学した男子、女子の決勝戦は全員が見守る中、1矢ずつが静まり返った会場で投げられ、的に刺さる時の音が聞こえてきます。 決勝戦は両試合ともどちらが勝ってもおかしくない白熱した試合で、勝敗が決まった時には、会場から大きな拍手で両者の健闘をたたえられました。 誰もが楽しめる競技 (公社)日本ダーツ協会の矢部菊一(やべきくかず)副会長に、お話しをうかがいました。 矢部副会長は、30歳でダーツをはじめ40歳で日本代表選手となり、WDFワールドカップの 1991年の第8回大会から第10回まで連続3回、 日本代表として出場し優秀な成績を修められ、現在は副会長として後輩の指導にあたっておられます。 「ダーツは、3本の矢さえあれば、どこでもできる競技であると共に、年齢、言葉の違い、障がいの有無にかかわらず誰もが楽しめる生涯スポーツです。 協会が30数年前からはじめた『障がい者ダーツ選手権大会』は、協会にとって、とても大切な大会です」と、話してくださいました。 歴史あるダーツは、その発展の過程で、多くの人を仲間にしてきました。 その多くの仲間の中では、年齢、性別、障がいの有無、などの多くの壁が、取り除かれてきていることを強く感じます。 是非、ダーツを行ってみてください。いろいろな壁が取り除かれ、必ずや楽しい世界が現れるはずです! 星川安之 写真1:競技の様子 写真2:マグネットの的 9ページ 障がい者スポーツ吹矢 スポーツ吹矢は、5~10m離れた円形の的をめがけて息を使って矢を放ち、得点を競うスポーツです。 競技では1ラウンド(3分以内)に5本の矢を吹いて、規定によるラウンドを競技し、その合計点を競います。 的は中心の白い部分が7点、その外側の赤い部分が5点、その外側の白い部分が3点、さらに外側の黒い部分が1点です。 電動車椅子や手動車椅子の使用者、義足、杖、補聴器とさまざまな補助具を使用する方でも参加可能です。 スポーツ吹矢のはじまり スポーツ吹矢は、一般社団法人スポーツ吹矢協会の創始者であり初代会長の故・青あおやなぎ柳清きよしさんが考案したスポーツです。 青柳さんは若い頃に結核を患い病弱だったため、健康に留意するなかで気功に出会いました。 そして中国・杭州で気功と太極拳を学び、「腹式呼吸」が体によいと知り帰国しましたが、長続きしませんでした。 その理由が「つまらない」からだと気づき、楽しくできる方法はないかと考えていたときに、腹式呼吸を使って矢を飛ばす「吹矢」にたどりついたのです。 そして、1998年4月「日本スポーツ吹矢協会」を設立したのです。 会員6万人超、海外にも支部 設立時にNHKの海外向け番組で世界22カ国で放送されたことで、スポーツ吹矢の存在は世界に広く知れわたりました。 安全で楽しく、健康に良い、しかも子供から高齢者まで参加できると各地に地域支部が立ち上がり、現在国内に1310、海外では4か国に10の支部ができるに至っています。 2018年8月現在、会員数約6万人、年齢も3~98歳と、この数字からも幅広く多くの人に親しまれているスポーツかが分かります。 協会では、スポーツ吹矢の魅力を次の5つにまとめています。 1)「誰でも」性別・年齢を問 わず楽しめる 2)「いつでも」「どこでも」「手軽に」できる 3)矢を的の中心に当てるというゲーム感覚で楽しみながらできるスポーツ 4)スポーツ吹矢式呼吸法による様々な健康効果がある 5)精神力&集中力を高める 誰もが参加できるための工夫 協会では級や段の認定制度を行うとともに、毎年数多くの競技大会を開催しています。 一般の大会と、障がい者のみが参加する障がい者スポーツ吹矢大会で、的の大きさと点数は、どちらの大会も同じですが、 的の高さは、車椅子などを使用し座位でプレイする場合は、床から的の中心の高さが130センチ、立位の人は通常の160センチとなっています。 ただし、車椅子使用者が高い方の的を希望すれば、高い的でプレイすることも可能です。 障がいのある人が共にプレイできるもう一つの大きな要素は、全国にいる障がい者サポート公認指導員の存在です。 普段の練習からはじまり、大きな大会でも多くの公認指導員が、大会を支えている様子がわかりました。 障がいの有無にかかわらず、一緒にプレイできる工夫がいたるところにある、障がい者スポーツ吹矢。一度、是非、体験してみてください。 星川安之 写真1:スポーツ吹き矢の的 写真2:構え 写真3:矢を的に向け吹く 10ページ 筑波大学附属視覚特別支援学校の運動会 10月6日(土)、東京都文京区護国寺にある筑波大学附属視覚特別支援学校のグラウンドでは、平成30年度同校幼稚部・小学部合同の「うんどう会」が行われました。 案内状には、小学部の児童会長であるAさんが、左記の言葉(原文は点字)をよせています。一部引用して紹介します。 「わたしたちの がっこうには ふつうの がっこうとは ひとあじ ちがう、おもしろいきょうぎが あります。 たいこや かねの おとに むかって はしる ちょくせんそう。まんなかの くいから のびた ひもの さきの わを もって はしる えんしゅうそう。 えんの 3/4ずつ はしって こうはく りれーになります。いっしょう けんめい れんしゅう しますので どうぞ みに きて ください。」 重要な音の役割 昨日までの雨もあがり、運動会当日、午前9時30分。 「これまでの練習を自信にして、優勝を目標にがんばりましょう!」との柿澤敏文(かきざわとしぶみ)校長のエールに続き、 幼稚部12名、小学部27名の児童さんたちが、赤組、白組に分かれ、競技を含む16のプログラムを、ご家族・親戚・卒業生等の熱い声援と参加のもと行いました。 16のプログラムには、競走系と非競走系があります。それぞれ、音が重要な役割を担っています。 直線走 Aさんの書かれている小学部の「直線走」は、準備体操後すぐに行われました。赤組、白組一人ずつ、二人で行なわれる競走です。 3年生までは、30メートルを全力で走ります。 他校と異なる点は、赤組の走者の前には「鐘」の音を立てる先生、白組走者には太鼓をたたく先生が「ヨーイドン!」の合図とともに、 ゴールに向かって後ろ向きに、音をたて走りながら、走 者に走る方向を知らせることです。 円周走 競走のやり方のもう一つは、離れた場所に2つの杭を打ち、それぞれの杭にひもを付け、走者はそのひもをたるまないように持ち、コンパスのように、円を描いて走るやり方です。 特に直線走では、音が重要な役目を果たすため、選手が走っているとき、観客席で声を立てる人はいませんでした。 その代わり、選手が走り終わった後は、その分大きな声援が会場に響いていました。 同校の運動会を見学し、視覚に障害があっても競技を可能にする歴史ある工夫は、広く社会でも応用できる素晴らしい工夫だと改めて思った次第です 星川安之 写真1:走る方向を知らせる太鼓 写真2:直線走の様子 写真3:ひもを持って走る円周走 11ページ スポーツ弱者を、世界からなくす。―ゆるスポーツの挑戦― 世界ゆるスポーツ協会 代表理事 澤田智洋(さわだともひろ) 昔からスポーツが苦手だった。否、嫌いと言っても過言ではない。そんな私には、5歳の息子がいる。 彼は、先天的に視覚障害を持って生まれた為、目が見えない。するとどうなるか。親子で公園に行っても、できるスポーツがないのだ。 他の親子がサッカー、バドミントン、縄跳びに野球と楽しむ中、我々親子はただただレジャーシートに座っているだけ。はたと思った。 我々がスポーツから疎外されているのは、我々のせいではなく、社会の方に問題があるのではないか。 ならばと逆転の発想で、私や息子が活躍できるスポーツをゼロから作ればいいのではないか。 そう思い立ち、2015年4月10日に世界ゆるスポーツ協会なる団体を立ち上げた。 「ゆるスポーツ」は「年齢・性別・運動神経・障害の有無にかかわらず、誰もが笑いながら楽しめるスポーツ」だ。 「老若男女健障スポーツ」と呼ぶこともある。件の「世界ゆるスポーツ協会」とは、ゆるスポーツを作るクリエイター集団である。 設立から3半余りが経ったが、開発したスポーツも70競技以上となった。今では多くのメディアに取り上げられ、数々の企業とも連携しながら、動きを加速させている。 では、どんなゆるスポーツがあるか。一番初めに開発したのが「ハンドソープボール」である。 これは、ハンドボールが元になっている競技だ。違いは、専用のスポーツ用ハンドソープ(ツルツル)を使用すること。 試合前にプレイヤーは「スターティング・ソープ」を手につける。試合中もボールを落としたり反則を犯すと「アディショナル・ソープ」をつけなければいけない。 すると、みんなボールを丁寧に扱うようになる。ボールスピードが落ちる。能力がフラット化される。体験会を開くと子供からお年寄りまで幅広い年齢の方々が集まる。 「イモムシラグビー」は、専用のイモムシウェアを着用してプレイする「足を使ってはいけないラグビー」。這ったり転がったり、イモムシ気分を楽しみながらプレイする。 タッチラグビーの要素を盛り込んでおり、ボールを持っているプレイヤーが相手プレイヤーに触れられると3秒以内にパスしなければいけない。 加えて、3タッチされると相手ボールとなる。これなら従来のラグビーのような「激しい接触」がないので、誰もが楽しくプレイできる。 もう一つこの競技の特徴は、足に障害がある方でも楽しめること。 この他にも、エレクトリック温泉、ブラックホール卓球、100cm走、…世界ゆるスポーツ協会では「日本発のスポーツ」を次々と生み出している。 その主たる理由は、私や息子のような「スポーツ弱者」が日常的にスポーツを楽しめる環境を作り出すためである。 もし興味があれば、ぜひ一緒にスポーツを作ってみませんか。 写真:ハンドソープボール、イモムシラグビーの様子 12ページ キーワードで考える共用品講座第107講「共用品とスポーツ」 日本福祉大学客員教授 後藤芳一(ごとうよしかず) 共用品は、不便さの有無に関わらず参加できることや、それを可能にする用具という点で障害者スポーツと関わる。 ▼1.用語と定義 身体の一部か全部を動かすことを運動、それらを組み合せて何かの目的を達成しようとすること(例:記録、勝敗)をスポーツとする。 ただ、発達の支援、虚弱の防止、レクリエーションなど、運動自体が目的の場合もある。2~4では、障害者スポーツを中心にみる。 ▼2.障害者スポーツの歴史 不便さのある人たちの運動は、高齢者から障害児まで、リハビリテーションや発達支援など広く行われてきた。 視覚、聴覚、身体、知的、精神など障害別に広がり、デフリンピック(聴覚、当初は別名)は1924年から、 パラリンピックは1960年(前身となるストーク・マンデビル競技大会は1948年)から、スペシャルオリンピックス(知的障害)は1968年に始まった。 本格化したのは第2次大戦で負傷した軍人などの社会復帰をめざし、リハビリテーションの一環として導入された時からで、 後に発展してレクリエーションを経て競技の性格を高めた。今はプロ選手(例:陸上、車いすテニス)や支援企業も増えて福祉より競技の性質が高まっている。 ▼3.障害者スポーツの種類 東京2020パラリンピック競技大会は、陸上168種目、水泳146種目ある(障害の種類、部位等で分けたクラスと男女を別々に計算)。 夏季は車いす関係ではフェンシング、ラグビー、テニス、マラソンなど、ほかにはゴールボール、ブラインドマラソンなどがある。 冬季はアルペンスキー、アイスホッケーなど。デフリンピックには、夏季21種目、冬季7種目ある(競技の種類だけで計算)。 スペシャルオリンピックスにはボッチャやフロアホッケーという独自の競技がある。大会に含まれない競技として車いすのホッケー、電動車いすのサッカー、ブラインドゴルフなどがある。 個人競技(例:陸上競技、水泳、各種球技)と団体競技(例:バスケットボール、グランドソフトボール)という分け方もある。 ▼4.政策との関わり 福祉からスポーツへ発展したことを受けて、パラリンピックとデフリンピックの所管が2014年度に厚生労働省から文部科学省へ移された。 スポーツ基本法(2011年施行)は「障害者が自主的で積極的にスポーツを行えるよう、障害の種類と程度に応じ必要な配慮をしつつ推進」とし、 文科省は2012年にスポーツ基本計画を定め「年齢や性別、障害等を問わず、広く人々が関心、適性等に応じ参画できる環境を整備」するとして障害者スポーツを進めている。 2020年からの新たな特別支援教育(学習指導要領改定)を機に、オリ・パラレガシー事業として、全国の特別支援学校でスポーツ・文化・教育の全国的祭典を開くため『「Special プロジェクト2020」文科省推進本部』を設けて検討している。 ▼5.共用品との関係 障害者スポーツ以外に、競技を目的としない運動もある。 例えば、外遊びが減って体力が低下する乳幼児・児童から生きがいを求める高齢者まで、広い年代を対象として生涯スポーツとする視点である。 生涯スポーツは障害者スポーツを含むが、競技スポーツより低い負荷で行える。障害児のスポーツ(例:横浜市「子ども向け障害者スポーツ教室」)、 視覚障害者登山(例:六つ星山の会)、介護予防のための運動(例:大阪府大東市「大東元気でまっせ体操」)もある。 共用品との関係では、障害に応じて競技規則や実施方法を変えたり(例:クラス分け)、用具等で不便さを補う(例:競技用義足)。 こうした考え方をアダプテッド・スポーツともいう。競技性が上がると人がスポーツに合わせる必要が生じるところを、参加者の状況に応じて競技やルールを工夫する。 こうしたことで、不便さのない人もともに行えるものもある(例:グラウンドゴルフ、ブラインドサッカー)。 これらを支えるモノとして、身体に装着して機能を補う(例:義足=日常動作、運動、競技的運動)、使用して機能を補う(例:チェアスキー)、 競技に必要な用具(例:ボッチャのボール)などがある。 13ページ 片手でも使えるモノ展 報告(第45回 国際福祉機器展 主催者特別企画コーナー) 2018年10月10日~12日の3日間、東京・有明にある東京ビッグサイトにて国際福祉機器展(H.C.R.)が開催され、 共用品推進機構は主催者特別企画の1つである日常生活支援用品コーナーで企画・監修をしました。 展示スペースは「補助犬3種によるデモンストレーション」と「自助具制作講習会」の体験スペースとの共通となりました。 テーマは2012年に行った「片手で使えるモノ」の第2回目で、「片手でも使えるモノ展」と題し、実施しました。 展示製品 製品はH.C.R.出展社から次の基準をもとに、21社69製品を選定しました。 ・通常は両手の操作が必要であ るのに、片手だけでも操作で きるモノ ・片手で使うことを補助する モノ ・使用するのに特別な技術がいらないモノ 選定した製品は、「家事」「着衣」「調理」「食事」「トイレ・入浴」「文化」の6つのコーナーに分け、 壁面には選定基準を記載した趣旨パネルと各コーナーのパネルを配置し、製品には説明カードを配置しました。 また「調理」「食事」場面の一部製品は、「高齢者の料理講座」の企画ブースにも展示しました。 説明パネルは、各場面で行う動作を「両手ですること」から「片手でするには」という対比にし、写真とイラストで示しました。 来場者の声 ・今まで全く気にしたことがなかったので、製品を選ぶ条件 の一つにしたい。 ・手が不自由な人や高齢者だけではなく自分達にも必要に  なってくるモノだ。 ・類似製品が置いてあり比較できるのが良い。 ・よく使うものがいろいろ置いてあり、とても良い。 当事者以外にも、施設関係者や行政、学生の方などが来られ、製品を一つひとつ試していました。 「詳細な説明があるカタログはあるか」「どこで取り扱っているのか」という問い合わせが多く、 中には「知り合いのメーカーを連れてくるので、製品を試してほしい」という方もいました。 田窪友和(たくぼともかず) 写真1:当日の様子 写真2:趣旨パネル 写真3:コーナーのパネル 14ページ 杉並区良かったこと調査 杉並障害者福祉会館 第37回となる福祉会館まつりが、10月13日・14日の2日間、東京の杉並障害者福祉会館で行われ、多くの人が来場されました。 杉並区で活動する12の障害等の当事者団体と、5つの支援機関のパネルでの活動紹介コーナーに加え、「写真展」、「陶器や編み物、絵画などの作品展」などの他に、 ダンス、コンサート、バザー、各種アート教室など、一日中楽しめる催しでした。 共用品推進機構は、会場の一角をお借りし、杉並区における良かったこと調査を、第一石鹸(株)の協力を得て行いました。 200名以上の人に、ご協力いただきました。 写真:良かったこと調査の様子 第16回福祉まつり(千代田区)に参加 2018年10月20日、東京の千代田区役所と高齢者総合サポートセンター「かがやきプラザ」で、第16回福祉まつりが開催され、共用品推進機構も参加しました。 今回は共用品の展示と、工夫を見つけるクイズを行いました。 クイズに全問正解した方には、(一財)日本児童教育振興財団と小学館集英社プロダクションから提供いただいたドラえもんのシールとえんぴつを、 共用品を紹介するパンフレットとともにプレゼントしました。 当日の様子は共用品推進機構のブログでご覧いただけます。 第16回福祉まつり(東京・千代田区)――共用品ニュース http://www.kyoyohin-news.org/archives/52087800.html 写真:クイズの様子 すぎなみフェスタ2018 11月3日・4日に、「すぎなみフェスタ2018」が、杉並区内の公園で行われました。 会場内には、飲食やグッズなど150を超えるテントがでました。 昨年、かしわ餅が表紙の共用品を紹介するパンフレットがデビューしたのは、このイベントの「杉並区障がい者の権利擁護普及・啓発ブース」。 今年はパッケージの形が似ていて中身が異なるものを並べ、さらには、箱の中にある「なし」と「りんご」を触ってあてるクイズなどを区の方々が行い、 多くの子ども・大人が熱心に触って、「へ~」、「なるほど!」を連発されていました。 写真:区の方々が行った箱の中身を当てるクイズの様子 15ページ 本間一夫文化賞を受賞して 平成15年8月に亡くなられた日本点字図書館、創立者の本間一夫先生を記念し、 視覚障害者の文化の向上に関する分野で優れた業績をあげた個人・団体を顕彰するために設けられた「本間一夫文化賞」を、今年度、受賞させていただきました。 共用品の普及に関わって下さった方々への賞と理解し、その全ての方に心より感謝申し上げます。 思い起こせば38年前。目の不自由な子どもたちの玩具を作るため、はじめて日本点字図書館を訪問して以来、 目の不自由な子どもたちへの家庭訪問を繰り返して作ったメロディボール、福祉作業所にお願いして作った木製の盲人用バックギャモン、 点字付きカードゲーム「ウノ」などの玩具、書いた箇所が浮き出るレーズライターと共に使う定規セット、声のおもちゃカタログ、 盤ゲームのテトリス、三省堂での「テルミ、玩具、盲人用具」の合同展示会、日点ゲームを楽しむ会、共用品推進機構の前身であるE&Cプロジェクトの会合、 目の不自由な人の不便さ調査、多くの人たちが来場してくださったバリアフリーは銀座から、最近では、良かったこと調査、とっておきのアイディアコンテストなどなど、 振り返ると、日点と共に行った事業が頭の中をかけめぐります。 本間先生には、日点に行く度に、「星川さんたちの仕事、長続きするといいね」と、声をかけていただき、大きな励みでした。 山登りでいうと、まだ2合目あたりですが、今回の受賞を機に、継承・新規も含め、10合目まで到達する仕組みを早急に構築できたらと思っています。 星川安之 写真:表彰された皆様 書籍紹介『品質を支えるアクセシブルデザイン』 『品質を支えるアクセシブルデザイン~日本発,アクセシブルデザイン,世界へ~』というタイトルで執筆し、 10月1日に品質月間委員会より通算、431番目のテキストとして発行されました。 昭和26年9月、日本で初めて品質管理大会が大阪で開催され、そこに参加した企業4社が、翌年には品質管理(QC)強調月間を設け、 さらには「品質月間委員会」が結成され、毎年11月を「品質月間」とするようになりました。 品質月間行事として、運動を普及するためのQマークを引用した旗、ポスターの作成・販売に加えて、各地での講演会が行われています。 昭和37年からは、講演会にあわせたテキストの作成がはじまりました。 今年発行されたテキストは、1.アクセシブルデザイン、2.ニーズ調査、3.標準化、4.普及活動、5.今後の課題、の構成になっています。 本年度の講演は、全国12か所で行われ、アクセシブルデザインに関しては、11月に沖縄県の沖縄産業支援センターで、テキストと同名のタイトルで行います。 今まで、アクセシブルデザインというと、製品開発、企画、販売企画、サービス業などが多かったのですが、今回はセメント、コンクリートなど材料企業で、 工場に勤務されている人が参加される予定です。アクセシブルデザインの新たな展開に寄与できたらと思っています。 星川安之 写真1:Qマーク(※「Qマーク」は日科技連の登録商標です。) 写真2:『品質を支えるアクセシブルデザイン』(品質月間委員会) 16ページ あっと言う間の2時間半 【事務局長だより】 星川安之 共用品の定義は「全ての人」に使えるではなく、「より多くの人」に使えるモノやサービスとなっている。 私は長年この定義に疑問を持たずに過ごしてきた。この夏、福田暁子(ふくだあきこ)さんに彼女の自宅で会うまでは…。 彼女には目が見えにくいことに加え、耳が聞こえにくい障害もあった。 その後、弱視から全盲へ、難聴からろうとなり、その後電動車椅子ユーザーに、人工呼吸器も付けるようになった。さらに、胃ろうである。 彼女が、周りの多くの人たちとコミュニケーションしながら生活する工夫は、マンションのエレベーターから始まっていた。 彼女が住む階のボタンにだけ点字表示がある。経緯を聞くと、管理人さんを通じてオーナーさんに必要性を伝え付けてもらったとのこと。 点字表示一つ付けるのも、管理人さんに相談することで、彼女への理解と、相互のコミュニケーション方法に繋がり広がるのである。 玄関の扉を開けるとそこにはスロープがあり、車椅子のまま「す~」と入れるようになっている。 私とのコミュニケーションは、通訳者が手の平内で行う触手話である。私の話を通訳者が触手話で伝え、聞き終えると彼女が話すのを繰り返し、会話が普通のスピードで進む。 彼女の話は、玉手箱から一つ一つ宝物を取り出すようで、日常生活で積み重ねてきた工夫を次から次へと話してくれた。 最初は、人工呼吸器。彼女の人工呼吸器の操作部は、電動車椅子に座る彼女の脹脛の後ろに取り付けてある。 何かのトラブルで緊急に操作しなければいけない時、操作部が背中の後ろでは、自分で操作できないという理由である。 さらに、主治医に相談し、万一の場合に備え、主だった操作部2カ所に凸点を付け、触って他のスイッチと区別できるようにした。 その後も、湧き出るように彼女が生きていくための工夫を沢山話してくれた。 これは、私一人で聞くにはもったいないと思い、10月22日の午後6時から8時30分、機構の事務局で彼女の話を聞く機会を設けた。 満員の会場は最初、現れた彼女にどう反応したらよいか戸惑う空気が充満した。その充満もどこ吹く風、 彼女は淡々と、自分の身体のこと、工夫して使っている道具、そしてその工夫にたどり着くまでの過程を、 理路整然ながらも、いちいちユーモアを交え話すので、会場の参加者の顔はいつしかみな「にこっ!」に変わっていた。 参加者の「にこっ!」や「笑い声」は、触手話通訳者が、トントントンと指で合図することで、彼女に正確に伝わる。 私は司会をしていたので、時間の感覚は分からなかったが、参加者のアンケートで一番多かったのは「あっと言う間の2時間半でした」だった。 共用品通信 【イベント】 第16回福祉まつり(10月20日) 【会議】 第1回TC173国内検討委員会(9月21日) アイディアコンテスト審査員会(9月26日) 【講義・講演】 跡見学園女子大学学生インターンシップ(7月27~29日、9月11~20日) 東京都港区立芝浦小学校共用品授業(9月27日、森川) 東京国際包装展 調査報告講演(10月3日、星川) 福田暁子氏講演会(10月22日) 【報道】 日本経済新聞「プッシュ式液体容器」(9月29日) 日本経済新聞「大人用おむつカバー」(10月27日) 時事通信社 厚生福祉「映画『子どもが教えてくれたこと』」(9月4日) 時事通信社 厚生福祉「かしわ餅のルール」(9月18日) 時事通信社 厚生福祉「もう一つの母子手帳(11月2日) トイジャーナル10月号「ダイアログ・イン・サイレンス」 トイジャーナル11月号「絵本『だるまさんが』」 アクセシブルデザインの総合情報誌 第117号 2018(平成30)年11月25日発行 "Incl." vol.18 no.117 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2018 隔月刊、奇数月に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファックス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:http://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 山川良子 事務局 星川安之、森川美和、金丸淳子、田窪友和  執筆 井田朋宏、後藤芳一、澤田智洋、松崎英吾 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙写真 1990年6月 ミラノ ジュゼッペ・メアッツァ スタジアム 表紙写真撮影 赤木真二 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。 その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。