インクル122号 2019(令和元)年9月25日号 特集:ルーツ 目次(Contents) ルーツその1 共用品・共用品推進機構のルーツ 2ページ ルーツその2 シャンプーのギザギザ 3ページ ルーツその3 共遊玩具 4ページ ルーツその4 温水洗浄便座 5ページ ルーツその5 音声体重計 6ページ ルーツその6 電話 7ページ ルーツその7 筆談器 8ページ ルーツその8 保護帽 9ページ ルーツその9 介護の言葉 10ページ キーワードで考える共用品講座第112講 11ページ 第20回 共用品推進機構 活動報告会 報告 12ページ イベントとお薦めの書籍 14ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16 ページ 表紙:電話機(5番を示す小さな凸) 2ページ ルーツその1 共用品・共用品推進機構のルーツ はじめに  おかげさまで、共用品推進機構は、財団として設立してから20年を迎えることができました。 ひとえに、皆様方のおかげと心より感謝申し上げます。  さて、今回の『インクル』ですが、特集を「ルーツ」としました。 モノやサービスには、それぞれ必ずルーツ、出発点があります。  けれど、時と共にその出発点は、どんなだったかが受け継がれていないと、20年、30年たった時、同じ課題を同じ方法で行い、同じように失敗してしまいます。  そんなことを思い、設立20年を期に、共用品・共用サービスのルーツを多くの人と共有するための一歩として今回の特集を考えました。  幸いなことに現在、機構のメンバーは、新聞、雑誌などに、共用品・共用サービスに関する紹介を連載で書かせていただいております。 それぞれのルーツに関して、時には現場に出向いたり、ルーツを知る人に取材をしたりを繰り返し、記事にさせてもらっています。 具体的には日本経済新聞の「モノごころ、ヒト語り」や、時事通信社の厚生福祉の「アクセシブルデザインの世界」、シルバー産業新聞の「わたしは共用品」、 日本工業出版の福祉介護テクノプラスの「より多くの人が使えるモノ・サービス」、高齢者住宅新聞の「アクセシブルデザイン、知ってる?」などの記事を参考にしています。 共用品のルーツ  共用品という言葉のルーツは、インクル113号で紹介させていただいたように、市民団体であった共用品推進機構の前身団体である 「E&Cプロジェクト」の会合を重ねていくうちに、決まっていった言葉です。 ここでは、そのE&Cの会合の1回目に集まったメンバーの所属していた機関を紹介します。 ◎風の会  正式名称を「福祉に関しての風通しをよくする会」といい、『われら人間』という福祉に関する情報誌の編集を行っていた 小島 操(こじま みさお)さんを中心に1983年に発足した会です。 建築、家電、住宅設備機器、リハビリ、玩具、福祉など、さまざまな分野からの人が集まり、課題を発見しては、解決に向けた議論を毎月一回集まり、行っていました。 ◎星の会  東京板橋の小茂根にある心身障害児総合医療療育センターの作業療法士チームと外部機関の人たちで、主に肢体不自由の子供たちの玩具を作っていたグループです。 この会からは、斜めコップという首を後ろにしなくても飲めるコップの開発が行われました。 ◎RIDOグループ  佐藤 俊夫(さとう としお)さん、永井 武志(ながい たけし)さんらのこのグループは、 障害のある人、ない人が共に使える機器等を「グレーゾーン」と呼び、その普及を4つのデザイン事務所が中心になり行っていました。 ◎JIDAのメンバー  工業デザイナーの人たちの集まりで、以前、障害者の使うデザインに取り組もうとしたことがあり、E&Cの趣旨に賛同し参加されました。 ◎日本点字図書館  盲人用具を扱う立場から、盲人用具と一般製品の垣根を外すことも重要といった観点からの参加でした。 2回目以降  2回目以降に参加された方々は、さらに幅広い領域から参加してくださいました。  しかも、そのメンバーが、文字通り障害のあるなしに関わらずの参加だったのです。 同じテーブルで向き合って議論を交わすのでなく、同じ方向を向いて議論を組み立てていきました。 目指すところはとても単純で、誰もが暮らしやすい社会づくりのための課題を見つけては、解決方法を検討し、実行し、修正する作業が始まったのです。 星川 安之(ほしかわ やすゆき) 3ページ ルーツその2 シャンプーのギザギザ  共用品推進機構の前身の市民団体E&Cプロジェクトが、1992年に日本点字図書館と共同で行った視覚障害者、約300名への日常生活における不便さ調査では、 触覚による識別が困難で不便を感じている製品の第1位として、シャンプー容器とリンス容器が挙がりました。  E&Cでは、この結果を製造企業に知らせることが必要ではないかと考え、話し合いの結果、シャンプー・リンスの製造メーカー各社の広報室に、 不便さ調査の報告会を開催する案内を出したところ、大手約10社の本部長クラスの人たちが参加してくださいました。  日本点字図書館の会議室で行った報告会では、目の不自由な人の一日を河辺 豊子(かわべ とよこ)さんが目の不自由な立場で紹介するとともに、 シャンプー・リンス容器の識別に不便を感じている視覚障害者が多いことを伝えました。  その報告会の後半は参加各社からの、シャンプー・リンスを触って区別するために行ってきた取り組みについての情報共有の場となりました。シャンプー、リンスの点字シールを配布している企業、シャンプーとリンス の容器の大きさを変えている企業など、それぞれ有意義な工夫ではありましたが、会社の枠を超えて共通して採用するには至っていませんでした。  そんな中、花王株式会社で包装容器の開発責任者であった青木誠(あおき まこと)さんから「花王では、数年前より毎年、目の不自由なお客さまから、 『シャンプーの前にリンスをしてしまった』『シャンプーの後にまたシャンプーをしてしまった』といった声をいただいています。 そこで一年前からプロジェクトを組み、試作品を作って目の不自由な人、目が見える人にそれを試してもらってきました。 その結果、花王のシャンプー容器の側面に、ギザギザ(きざみ)を付けることにしました。 他社がリンス容器にきざみを付けると使う方が混乱すると思い、実用新案に登録しましたが、権利は無償で放棄することにしています。 ご賛同をいただけるのなら、シャンプー容器にきざみを付ける工夫を共有できればと思います」と発表がありました。  1992年に花王株式会社から発売されたギザギザ付き第一号のシャンプー容器を皮切りに、すぐに多くの企業がならいました。 その後このギザギザは、日本工業規格(現在は、日本産業規格 JIS)に採用されたことも大きく影響し、 今では日本で販売されるほぼすべてのシャンプー容器の側面に、付いています。  その後、視覚障害の当事者団体から「ボディソープを識別することが困難である。何とかならないだろうか?」という要望書が共用品推進機構に届き、 日本化粧品工業連合会をはじめ関係機関で協議を重ね、15年2月に、側面と上部に一本の凸線が表示されたボディソープ容器が市販されはじめました。 さらには、詰め替え用にも触覚で識別できるようになっています。  この工夫はシャンプー・リンス・ボディソープ容器の識別にとどまらず、缶アルコール、家庭用ラップ、牛乳容器など、 他の容器が触って分かるようになっていくことにも大きく影響を及ぼしていったのです。 星川安之 写真1:視覚障害者不便さ調査 写真2:ギザギザのついたシャンプー 4ページ ルーツその3 共遊玩具 おもちゃ大賞  今年の6月13日~16日、国内外191社が出展し東京おもちゃショーが開催されました。  その一角で今年12回目となる日本おもちゃ大賞の各賞を受賞した商品が並び、来場者の関心を集めました。 7部門ある賞の一つが、共遊玩具。大賞を含め5つの商品が受賞しました。 コンビニエンスストアをテーマにした玩具は、菓子の種類やペットボトルが目の不自由な子供たちにも触って識別でき、 さらには商品が棚から落ちにくい工夫もさりげなくされています。 共遊玩具  1980年に障害のある子供たちの玩具の研究開発を行っていたトミー工業株式会社(現タカラトミー)から、 障害のある子供専用でなく障害の有無に関係なく共に遊べる玩具の普及を業界全体で行いたいとの提案があり、 90年4月、日本玩具協会に目や耳の不自由な子供たちも共に遊べる共遊玩具を普及させる委員会が発足しました。 委員会の名称は「小さな凸」実行委員会。ON・OFFスイッチのON側に小さな凸点を付けることにより、 目の不自由な人が、スイッチのONとOFFを確認できる、小さいながらも大きな役目を果たす凸点からとった名称です。  同委員会では、目や耳の不自由な子供も共に遊べる玩具にはそれぞれ「盲導犬」と「うさぎ」のマークを、パッケージやカタログに表示することを推奨しています。  盲導犬マークが表示されている玩具には、石の黒と白が触って識別できる「オセロゲーム」や、手で触って全体像が把握できる車や動物のミニチュアがあります。  耳の不自由な人も共に遊べるうさぎマークが表示される玩具には、字や絵を書いてまた消せるボードや、吸い込んだゴミが見て分かる掃除機の玩具などがあります。  メーカーがマークを表示するには、同協会作成のガイドラインに適合しているかを同協会がチェックする仕組みになっています。 審査に合格した玩具は、毎年東京おもちゃショーに合わせて、協会が作成する共遊玩具カタログに掲載され、各地の視覚障害、聴覚障害関連機関、玩具店、メーカーにも配布されています。  マークには、作る、売る、購入する人達が、共通の情報として把握できるメリットがあります。 さらに、この活動が始まってすぐに、「普段、子供の玩具は特注でしか購入できなかったが、盲導犬のマークが付いている玩具があること、 そして、それが普通の玩具屋さんで購入できることを知り、とても嬉しかった」と目の不自由な子供のお母さんから同協会に手紙が届きました。  発足から30年たった協会は委員会の名称も「共遊玩具推進部会」と改め、さらなる目標に向かって動きだしています。 星川安之 写真1:盲導犬マーク(上)、うさぎマーク(下) 写真2:『大回転オセロ』(メガハウス)※オセロは登録商標です。TM&cOthello,Co. and Megahouse 写真3:『せんせい』(タカラトミー)(C)TOMY 5ページ ルーツその4 温水洗浄便座  日本の家庭約81%に普及する温水洗浄便座は、日本工業規格(現、日本産業規格 JIS)で、 「温水発生装置で得られた温水をノズルから吐き出し,おしり洗浄、又はおしり洗浄及びビデを行う装置」と定義されています。  海外からの観光客に衝撃と感動をもたらす温水洗浄便座は、元はスイスとアメリカで限られた人向けとして開発された医療機器でした。 スイスのクロス・オ・マット社は、上肢が不自由な人のために、洗浄ボタンが、足で押すように足元についており、 温水は便座からではなく、便器から出るタイプで、正式には温水洗浄便器でした。  そしてアメリカのアメリカン・ビデ社は、痔を患った人たちのために開発され、こちらは便座に温水発生装置が付いている構造で、 温水・温風のオン・オフは手で行う仕組みとなっていました。  1964年、日本の大手衛生陶器メーカー東洋陶器(現TOTO)と伊奈製陶(現LIXIL)の2社はそれぞれを輸入、3年後に伊奈製陶の国産製品の販売がはじまりました。 しかし定着するまでには技術、文化、固定概念など多くの壁が立ちはだかっていたのです。当時の日本は下水道の整備率が低く、トイレも和式が主流であったため、多くの家庭では温水洗浄便座を受け入れる状況ではありませんでした。  その後法整備も進み徐々に下水が整備されると共に、トイレも洋式に変わっていきました。  1982年、TOTOの「おしりだって洗ってほしい」というテレビCMがゴールデンタイムに流れ、日本国民の多くは温水洗浄便座の存在を知ることになります。  CMは注目を浴びましたが、他の商品と異なり、使ってみないことには判断がつかないこともあり、認知度アップが即売上げアップとはなりませんでした。  メーカーは、まず水道工事屋さん宅に設置してもらい、経験による説明を個々の家庭で行うという地道な努力も行いました。  温水洗浄便座が設置してある公共施設のマップを作り、使った人の体験を小冊子にまとめるなどの広報活動も行なわれました。 体験集には、「覗きこんだら顔に水があたった」などの失敗談と共に、痔の患者さんからの「この商品を待っていた!」、「便秘が解消された」、 「手が不自由でいつも誰かに行ってもらっていたことが自分でできて涙が出るほど嬉しかった」など感動の声がつまっています。  安全性、使い勝手も年々進化を遂げている温水洗浄便座ですが、社会の文化を「誰もが暮らしやすい」に変え、定着させたことは並大抵の努力ではありません。 ライバル同士である企業の切磋琢磨の結果産み出された文化です。なによりもこの文化のすごさは、出発時から障害のある人たちも対象としていることです。 さらなる定着と発展がとても楽しみです。 星川安之 写真1:国産初の温水洗浄トイレ 写真2:TOTOの初代ウォシュレット(R) 写真3:1982年のテレビCM 6ページ ルーツその5 音声体重計 体重測定の目的の変化  飢餓が身近だったインドのムガール王朝時代の王様は、毎年増えていく自分の体重を国民に公表することで、国が繁栄していることを示したと言われています。 日本で体重測定が一般化したのは、1930年代。当時の死亡原因のトップが結核だったため、インドと同様に、体重が多いことが健康と見なされていました。  時代は変化し、肥満は万病の元となり、体重計は肥満防止と共に、他人に知られず自分で測るのが一般的になってきました。 日本点字図書館と共用品推進機構が1993年、279名の目の不自由な人たちに行った「朝起きてから夜寝るまでの不便さ調査」では、計測・計量には59人が不便さを感じていると回答しています。 一般に販売されている計測器の代表格である体重計は、測定結果を示す数字が透明のカバーに覆われているため、目の不自由な人たちは触ってその数字を確認することができませんでした。 その不便さを解決するため、盲人用具を扱う日本点字図書館では、メーカー協力の元、透明カバーを外し針に触われるようにしました。 盲人用体重計  針が示す表示盤には、点字や凸点が付けられ、目の不自由な人が自分で自分の体重を確認できるものになったのです。 この工夫は、昔銭湯にあった体重計を加工し、台に乗ると目の高さにある針が動き、止まったところの数字を触って分かる方式がヒントです。  技術は進化を続け、1978年、日本初デジタル表示の体重計が販売されました。正確な値が表示され、記録もでき一家に一台の必需品となりました。  けれども、このデジタル表示の体重計、表示部の透明カバーを外しても、表示されたデジタルの表示には凹凸がないため、目の不自由な人は、触って読むことができませんでした。 前述の調査では、「音声対応にしてほしい商品」の第一位に、家庭用測定器が挙がっています。 音声体重計の誕生  日本点字図書館がメーカーに相談したところ、1986年に、デジタル音声体重計が開発され、発売されたのです。  視覚障害者からは大変好評で多くの人が購入した…が、一時パタッと売れ足が鈍ったことがありました。 メーカーは、不思議に思い、当事者に聞いて廻ったところ、「音声で表示されるのは、大変ありがたいのですが、他人に伝えたくない体重の時にも他人に知れてしまうのが…」 という理由であることが分かったのです。さっそく長いイヤホンを差し込める仕様に変えると前にもまして人気製品となり、今では体脂肪率、筋力量なども、音声で聞けるまでになっています。 星川安之 写真1:カバーが外れる体重計 写真2:針が触れる銭湯の体重計 写真3:音声体重計 写真4:イヤホン付き体重計 7ページ ルーツその6 電話  日本点字図書館の田中 徹二(たなか てつじ)理事長宅にあるテレビのリモコンにも小さな凸点があります。 ボタンを押すと音声ガイドが流れ、目が不自由な人でもテレビ画面の情景が分かります。  小さな凸は洗濯機、電子レンジなどの家電製品、事務機械や玩具などのスイッチON部分、銀行・郵便局等のATM、自動券売機、電卓などの10(テン)キーの5番にも付いています。 スイッチではOFFとの区別、テンキーでは他の数字ボタンを触って確認する基点となっています。 NTT技術史料館  凸点のルーツを探るために東京武蔵野市にあるNTT技術史料館を訪れました。 ここでは、明治2年、電報事業の開始から通信事業を年代順に見ることができます。 約1500点の展示品には、日本の通信技術の進化と共に、障害の有無、年齢の高低に関わりなく 「誰にでも使える通信」を目指す貴重な努力の結晶が刻まれています。  電話は当初、交換手を呼び出し、口頭でかける相手の電話番号を伝え交換手が、相手に繋げる方式でした。 それが1926年、番号を入力するだけで相手に電話がかかる自動交換方式が始まったのです。最初の番号入力はダイヤル方式です。 便利になりましたが、目の不自由な人には、数字を探すのに時間がかかる不便さがありました。 そのためダイヤル中央に3、6、9を凸線で示す盤の取り付けが1970年に開始され、目の不自由な人の不便さが緩和されたのです。  時代は技術の進歩によりアナログからデジタルへ。1969年にダイヤル式から10キーのプッシュホンへと移行。 けれども、表面がどれも平なボタンは、目の不自由な人の多くが数字を素早く選択することが困難でした。 点字は、見えない人全てが読めるわけではなく読めても時間がかかります。 1982年、その課題を解決しプッシュホンの5番のボタンの上に付けられたのが、田中さんが今でも便利に使っている小さな凸点です。  5番に凸点があると、右は6、上は2と、5を基点に他の数字を素早く正確に押すことができます。 この凸点は、家電、玩具等にも広がり、業界を横断した日本工業規格(JIS)となり、さらには日本からの提案で国際規格(IS)にもなり世界中に凸の利便性が広がっています。  電話機はその他にも、音量が変えられる、骨伝導で伝わる、書いた文字が相手に送られるなど、多様なニーズに答えて開発されてきています。  現在それらの工夫の多くは、一般機種にも盛り込まれ、さらに多くの人たちの利便性につながっているのです。 星川安之 写真1:電子レンジの凸点 写真2:ダイヤル中央の3、6、9を示す凸線 写真3:5番の凸点 8ページ ルーツその7 筆談器 言葉が通じない…!  言葉の通じない国に行った時に、買い物、食事、交通機関などで、話が通じず、困った経験はないでしょうか?  意図しない食事や飲み物がでてきたり、買ったものの金額が分からず、常に紙幣を出しての買い物でお財布に小銭がたまったりなど…。  そんな時の解決方法の一つとして、数字を紙に書く、絵で書くことによって、困ったことを回避できることもあります。 ただし、そういう時に限ってメモや筆記具を持っていなかったりします。 窓口で見かける筆談器  日本では最近、駅、空港、銀行、病院、百貨店、スーパーマーケット、映画館、各種イベント会場などの窓口に、「筆談器あります」や「耳マーク」の表示が増えてきています。 B5サイズほどの大きさで厚みが1センチほどの盤の中央には横18センチ、縦12センチの大きさで字や絵をかけるスペースがあります。 ペンは先にマグネットが付いていて、盤の下にある砂鉄を盤の表面まで持ち上げ、それによって盤に字や絵が書ける仕組みになっています。  耳が不自由な人や声を出すことが困難な人、言語が異なる人が、各施設の窓口で、モノを尋ねる時、便利に使われています。 実は、この筆談器、元は幼児用のお絵かき玩具でした。紙のサイズでいうとA3ほどの大きさの盤に、先にマグネットが付いたペンで書き、 その後レバーをスライドさせると書いた絵や字を消すことができ、何度でも書いたり消したりして使える玩具です。  発売されてから14年たったある日、大きな病院の看護師さんからメーカーに問い合わせがありました。 「私が勤務する病院に入院している高齢の女性は、声が出せなくなったため、御社の玩具で筆談をし、家族や私たちとコミュニケーションができています。 ただ、A3サイズの大きさでは持ち運ぶ時に大きすぎること、そして色が少しシックになれば」との連絡があったのです。 担当者は、病院をたずね、さらに詳細を聞くと共に、他の病院へも出向き同じニーズがあることを確かめました。 問い合わせを受けてから一年、B5サイズに、色は薄い青の商品が店頭に並び、他社製品の先駆けとなりました。  1990年から、一般社団法人日本玩具協会では、目の不自由な子供たちも共に遊べるおもちゃを「共遊玩具」と名付け、パッケージには盲導犬マークが表示されていました。  そこに、耳の不自由な子供たちも一緒に遊べる玩具の第一号として、この字や絵がかけ、筆談にも適した玩具が加わったのです。 パッケージには「うさぎ」のマークが表示され、消費者及び販売する玩具店の人たちへもマークでその意味を伝えています。 星川安之 写真1:筆談マーク、耳マーク 写真2:筆談器 9ページ ルーツその8 保護帽  衣食住、中でも衣に関するモノは、機能と共にデザインによって使いたいかそうでないかが大きく分かれます。 てんかん発作で転倒する可能性のある人の保護帽も同様です。  てんかんは、乳幼児から高齢者まで発症する可能性があり、脳のどこで異常が生じたかで現われる症状が異なります。 日本では約100万人の患者さんが推定され、その内80%程度は発作症状を改善できる比較的予後の良い脳神経の疾患です。 けれども、現在の医学で発作が抑制できない「難治てんかん」では、転倒を繰り返す人がいます。 転倒した時に備え、室内の床材、壁材にクッション材を使用したり、ドアの取っ手の出っ張りを掘り込み式の引き手に変えるなど、 環境を変えることも有効ですが、転倒時に頭部外傷を防ぐためには、保護帽(ヘッドギア)が欠かせません。  昭和50~56年にかけて国立療養所静岡東病院(現 静岡てんかん・神経医療センター)での調査並びに、 日本てんかん協会のてんかん患者81名199発作時の外傷の位置に関するアンケートでは、前頭部、頭頂部、後頭部、側頭部、顔面と広きにわたっていることが示されています。 当時の保護帽は、ドイツ製かアメリカ製が主で、皮革製とプラスチック製がありましたが、皮革製は守る部位が限られ、プラスチックは強度に問題がありました。  そこで、日本でも研究が行われ、皮革とプラスチックを合わせて作られました。しかし、重さと共に、ファッション性の課題は残りました。  1987年、リネン及び介護用品の製造・販売を行う札幌にある株式会社特殊衣料に、1本の電話がありました。 電話を受けた社員は、その人の家を訪れると頭に重いカーレーサー用のヘルメットをかぶり、室内でふらふら歩き、何度も転倒する10歳の女子を目の当たりにしたのです。 「てんかんのある娘に、軽くて洗える保護帽を作ってもらえないでしょうか?」との問いかけに、製品開発の経験はないけれど、何としても開発する!と決意。 試行錯誤を重ね、厚みが5ミリほどのメッシュを重ね軽くて丈夫、しかも洗える保護帽を開発。さらに心理面でも抵抗なく、常時かぶっていたいデザインを追求しました。  完成した保護帽は、凍った道で転倒する北海道の人々にも受け入れられました。さらに、頭部に加わった衝撃をどの程度緩和できるかの衝撃吸収能力を調べ表示しています。 保護帽をかぶっていない場合が0%、同社では95%から25%まで、それぞれの人に合った、しかもデザインも考慮された50種類が揃っています。 金型ではできないそれぞれにあった保護帽は、さらに多くの需要に繋がっているのです。 星川安之 写真1:保護帽 写真2:さまざまな保護帽 写真3:abonetR シティ ハンチングチェック 10ページ ルーツその9 介護の言葉  介護という言葉は、広辞苑に「高齢者・病人などを介抱し、日常生活を助けること」の語釈で掲載され社会に浸透しています。 この「介護」、元は大人用おむつカバーの商標として考案、登録された言葉なのです。  1950年に設立された株式会社磯部商店(現フットマーク株式会社)は、赤ちゃんのおむつカバーやぞうり袋、 リュックサックなどの学童用品の開発・製造・販売を生業としていました。  同社に転機が訪れたのは、1960年代後半、ご近所に住む顔見知り女性が三代目社長の磯部 成文(いそべ しげふみ)さん(現会長)を夜こっそり訪ねてきたことでした。 か細い声で言いづらそうに「大きなおむつカバーを作ってもらえませんか?最近うちのおじいちゃんがおもらしをするようになって…」と社長にお願いしたのです。 それは大変と、すぐに試作に取りかかり何度かの改良を行い、完成品を渡したところ、さっそくおじいちゃんに使ってみた女性は「これは助かる!便利!」と、 大変喜び、実家から送られてきたというリンゴをお礼にくれました。  第1号ができたのは、日本が今のように高齢社会になる前でしたが、磯部社長は他の家庭でも困っている人がいるに違いないと、 「大人用おむつカバー」とネーミングし生産を開始、1970年、問屋を通じて販売を開始したのです。 ポツリポツリではありましたが、売れ始めていました。けれども、磯部社長はこのネーミングがしっくりこなかったのです。  「病人用おむつカバー」や「医療用おむつカバー」などにも変えてみましたが、まだしっくりきません。 広辞苑を引きながらの日々、心にとまったのが怪我人などを助ける「介助」という言葉と、看護師さんの優しいイメージがある「看護」だったのです。 その二つの言葉の一字ずつで産み出された造語が「介護」です。そして、この介護という言葉を使った製品の第一号が、「介護おむつカバー」でした。  「介護」という言葉、1984年に、同社で商標登録を取得しましたが、「社会に広がって始めて価値が出る」と考え、無償で公開した結果、世の中に定着した言葉になっているのです。  現在同社は、おむつカバーの技術を活かし、学童用の水泳帽で多くのシェア占めていますが、 プールでウォーキングをする高齢者のために髪を包むよりも髪型を崩したくないというニーズに応えた水泳帽も人気商品となっています。  「すべては人のために、すべては笑顔のために」がモットーの同社で生まれた「介護」の心が、さらに社会に広がることを願います。 星川安之 写真1:介護おむつカバー 写真2:商標登録 写真3:ロングセラーの水泳帽 写真4:ウォーキング用水泳帽 11ページ キーワードで考える共用品講座第112講「共用品のルーツ」 日本福祉大学客員教授 後藤 芳一(ごとう よしかず)  共用品のルーツを時間の逆にたどると、社会的に普及が進む段階(W)、共用品の概念を模索・確立した段階(X)、 分野横断的な取組みが進んでXの土壌となった段階(Y)、現場で個々に工夫していた段階(Z)の4段階になる。 1.社会的普及段階(W)  共用品推進機構は1999年に法人化(当初は財団法人、現在は公益財団法人)した。名称に「共用品」を掲げ、公的・社会的な存在として活動を始めた。 国内外や政府から事業を受託(例:日本工業規格(JIS)や国際規格(IS)の作成を受託し、40の規格を作成)した。  こうした取組みを経て、2018年には「共用品」が広辞苑(岩波書店)に初めて収載された。 中核組織を整えたことで、共用品が政策や社会の仕組みの一端を担う存在となった。 2.概念確立段階(X)  共用品推進機構の前身であるE&Cプロジェクトは、1991年に市民団体として発足した。 不便さのある当事者、企業の開発者、工業デザイン、行政(タテ)と、 玩具、家庭電化製品、商品・サービスなどの業界(ヨコ)の関係者が集まって調査・開発・普及を行った。 不便さ調査(93年から)、展示会(同)等を通じて対外的な発信を行うことで、共用品の概念や定義を明らかにしていった。  93年には福祉用具法が施行され、共用品は福祉用具産業政策に位置づけられた(「福祉用具産業懇談会第3次中間報告」(98年、通商産業省機械情報産業局))。 共用品は福祉用具(広義)の一部と定義され、市場規模の統計の公表が始まった(数値は95年度から)。 なお、72年には工業デザイナを中心としたRIDグループが活動を始め、82年には「グレーの部分」の概念を提唱した。 こうしてE&Cプロジェクトの活動の先駆となった。  Xの時期に共用品の事例が増え、分野が広がるとともに、E&Cプロジェクトが多くの産業 (モノやサービス)分野や行政との結節点の役割を果たし、共用品の概念が確立した。 3.横断的取組み段階(Y)  日本玩具協会の「「小さな凸」実行委員会」(90年)、「晴盲共遊玩具に関するガイドライン」(91年)が先行し、90年代を通じて家電製品協会(視覚障害者)、 日本自動車工業会(福祉車両ワーキンググループ)、日本自動販売機工業会(身体障害者)、家庭用ラップ技術連絡会(視覚障害者)、日本旅行業協会(バリアフリー)、 日本ホテル協会(高齢者)などに広がった。  広い分野の取組みを分野横断的につなげたことが、共用品という概念を生むことになった。Yの段階が土壌となって、Xの段階で共用品という概念に結実した。 4.現場個別工夫段階(Z)  トミー(現タカラトミー)の「ハンディキャップ・トイ(HT)研究室」(80年発足)からの提案が日本玩具協会の取組みにつながり、 花王が考案したシャンプー容器の識別法について、業界内で同調を提案した(91年)ことで化粧品工業連合会の取組みが始まった。 個別企業の取組みを意図的に業界に広げようとした動きであり、それがYの段階の取組みの広がりを生んだ。  個々の取組みはその前からあった。ピクトグラム(絵文字、1964年に開発、80年代から普及)、シルバーシート(73年)、公衆電話の5の上の凸点(82年)、 テレホンカードの切込み(85年)などである。さらに、かしわ餅のこし餡と味噌餡の、包む葉の表裏による識別は江戸時代にさかのぼる。 餡パンのこし餡と粒餡、豚まん(肉まん)とあんまんの識別等の例もある。こうした、不便さを除くための現場での工夫は、古くからなされてきている。 5.まとめ  共用品の現在の形があるのは、広く普及させて社会的存在として役割を担う段階(W)、共用品の概念が確立した段階(X)、 分野ごとの取組みが広がり、共用品の概念を生む土壌ができた段階(Y)、個別の先駆的な工夫の段階(Z)を経ている。 「共用品のルーツ」を考えるとき、その視点しだいで、W~Zが答えになる。 12~13ページ 第20回 共用品推進機構 活動報告会 報告  2019年7月19日(金)、東京ドームホテル(東京都文京区)で、第20回共用品推進機構活動報告会を開催した。 20回目を迎えた本報告会当日は、法人賛助会員並びに関係者101名の出席をいただいた。  今年の活動報告会のテーマは、「誰もが活躍する共生社会に向けて」であった。  評論家で(公財)大宅壮一文庫理事長の大宅 映子(おおや えいこ)氏に 「共用品推進機構を活用し、共生社会の実現を」と題し講演をいただいた。 続いて、日本障害者協議会代表、きょうされん専務理事の藤井克徳(ふじいかつのり)氏に、 「障害者団体と企業が共に考え、共に創る共生社会~障害者権利条約羅針盤に、問われる関係者の連携と知恵~」の講演をいただいた。 「法人賛助会員等活動報告」と「交流会」  活動報告会を締めくくる「法人賛助会員等活動報告」では、各企業、団体の取組みを、また、報告会終了後に開催した交流会には、 多くの方が参加くださり、積極的な意見交換等が行われた。次年度以降も継続していく方針である。 活動報告会・交流会の様子は、「共用品ニュース」で公開中。 http://www.kyoyohin.org/blog/ 写真1:報告会会場の様子 写真2:交流会の様子 表 共用品推進機構活動報告会~講演にみる20年間のあゆみ~ (注:企業・団体名、所属、役職等は当時のままです。) 開催日 テーマ ・講演タイトル 第1回(平成11年度)2000(平成12)年2月18日(金) 企業における共用品の普及 ・「企業経営と共用品」 第2回(平成12年度)2001(平成13)年7月4日(水) ガイド71の意義及び福祉用具と共用品 ・「高齢者・障害者配慮設計指針『ガイド71』の最新状況と意義」 ・「安心・ぬくもり・輝き・誇り~21世紀の福祉と共用品」 第3回(平成13年度)2002(平成14)年7月15日(月) 共生社会に貢献する共用品の役割 ・「ユーザーとして『共用品・共用サービス』を考える」 ・「『共用品・共用サービス』が社会に果たす役割について」 第4回(平成14年度)2003(平成15)年7月17日(木) 共用品・共用品サービスの役割~使用者の立場から~ ・「違うことこそ、すばらしい!~『共用品・共用サービス』が社会に果たす役割とは~」 ・「知的障害と不便さについて~知的障害者も利用できる共用品・共用サービスとは~」 第5回(平成15年度)2004(平成16)年7月7日(水) 企業や学校における共用品の普及 ・「高齢の方や障害のある方への放送のバリアフリー~視覚や聴覚に障害のある方、盲ろうの方にもやさしい放送を目指して」 ・「どう考える、企業の社会的責任」~共用品はCSRのウインドウ~」 ・「幼児から大学生、子どもに伝える共用品~共用品で育つ心~」 第6回(平成16年度)2005(平成17)年6月29日(水) 行政、研究機関における共用品の標準化と普及 ・「内閣府における障害者施策と行政窓口の共用化配慮実現に向けて」 ・「バリアフリーをめぐる産総研の取り組みとサービス産業・企業との関わり」 ・「サービスの共用化、バリアフリー化の今後のあり方」 第7回(平成17年度)2006(平成18)年7月4日(火) アクセシブルデザイン国内外の最新動向 ・「国内におけるアクセシブルデザインサービスのあり方~だれも知らない2005年愛知万博舞台裏を通して~」 ・「バリアフリー読み聞かせ会を通じて~幼稚園、養護学校等におけるバリアフリー 読み聞かせを通じて、共用品が教育現場に与える影響とこれからの課題~」 ・「最新アクセシブルデザイン報告(共用品市場規模、JIS規格、アクセシブルデザインフォーラム等)」 ・「アクセシブルデザイン動向(国内規格が世界に与える影響、日中韓におけるアクセシブルデザインの標準等)」 ・「国際的に広がるアクセシブルデザイン ~日本発のアクセシブルデザインへの期待と影響~」 第8回(平成18年度)2007(平成19)年7月3日(火) 快挙!日本提案5つのテーマ、ISO(国際標準化機構)で承認! ・「ISO(国際標準化機構)へのアクセシブルデザインの新規国際規格提案5テーマすべて承認!~日本発の新規国際規格提案が国内外に与える影響と今後の課題~」 ・「アクセシブルデザイン導入でここが変わる!~アクセシブルデザイン関連規格をそれぞれの立場でどのように捉え、生かすのか~」 第9回(平成19年度)2008(平成20)年7月14日(月) アクセシブルデザイン最新報告~“Second Decade”に向けての展望と課題~」 ・「日本発・ISO国際標準化が与える世界への影響~アクセシブルデザインの導入で、モノづくりはこう変わる!~」 ・「交通機関におけるバリアフリー ~東京メトロ 副都心線の取り組み~」 第10回(平成20年度)2009(平成21)年7月7日(火) 「日本の社会のあるべき姿~これからの時代に必要なアクセシブルデザインとは~」 ・「人を生かし生かされる企業の姿~実践!障害のある従業員と作り上げた企業が歩んできた道~」 ・「日本の社会のあるべき姿~企業人・個人として、アクセシブルデザインをどう考え取り入れるか~」 第11回(平成21年度)2010(平成22)年7月13日(火) より多くの人が暮らしやすい社会に向けて~これからの「社会」「企業」「人」に求められること~ ・「消費者と企業に期待すること~消費者庁と共用品・共用サービス~」 ・「みんなちがって、みんないい~障害者権利条約・障がい者制度改革推進会議から見えてくるもの~」 ・「共用品市場規模調査から見えてくる『今後の開発・提供すべきテーマ』~15年の調査の積み重ねで見えてきたモノ・コト~」 第12回(平成22年度)2011(平成23)年7月11日(月) より多くの人が暮らしやすい社会に向けて~大震災を経験し、今できること、これから取り組むべきこと~ ・「東京ディズニーリゾートのサービスと今後の課題」 ・「インクルーシブ社会を見据えた復興をめざして」 ・「視覚障害者不便さ調査結果報告~22年度調査結果報告と20年前の調査比較~」 第13回(平成23年度)2012(平成24)年7月12日(木) 共用品・共用サービス事業、広く深く続けるには~気づく、動く、形にする、共有する~ ・「テレビCMに字幕を~視聴者のコメントから見えてきた今後の課題」 ・「ワタミが取り組む老人ホームの製品・サービス」 ・「全ての分野に取り入れることができるアクセシブルデザインの最新情報」 第14回(平成24年度)2013(平成25)年7月8日(月) 「共用品・共用サービスの真の姿を探る」~いま取り組むべきこと、いま本当に必要なものとは~ ・「すべては楽しんでいただくために~ディズニーリゾート30周年を迎えて~」 ・「製品開発のヒントがここに~作業療法士の現場からみる共用品~」 第15回(平成25年度)2014(平成26)年7月17日(木) 「不便さ」から「良かったこと」へ~共用品・共用サービスの新たな展開~ ・「人に仕事を合わせる、ユニバーサル農園・京丸園の取組み」 ・「高齢者・障害者配慮、標準化の推進で社会が大きく変わる!」 第16回(平成26年度)2015(平成27)年7月6日(月) 障害のある人達の社会を理解し、必要な情報提供や設備の充実を図るために~2020年オリンピック・パラリンピック開催が私達に与える影響~ ・「盲ろうとバリアフリー社会」 ・「東京オリンピック・パラリンピック運営の最新情報~日本が取り組むべき課題~」 第17回(平成27年度)2016(平成28)年7月19日(火) 消費者のニーズにあったものを届ける仕組み~障害のある人や高齢者等のニーズと流通~ ・「消費者ニーズに合った製品を届けるために~通信販売が果たす役割~」 ・「子供達は何を求めているのか~障害のある子供達のニーズに合った製品や、障害のある子供達の能力を活かしたモノづくり~」 第18回(平成28年度)2017(平成29)年7月6日(木) 「前例がない」から「前例を作る」~誰もが暮らしやすい社会を目指して~ ・「前例がないなら(みんなで)作ればいい~出会っちゃえばこっちのモン!~」 ・「快適な空の旅へ~ANAの取り組みとリオ・オリパラ事例から~」 第19回(平成29年度)2018(平成30)年7月11日(水) 共に働く、共に創る~誰もが活躍できる社会を目指して~ ・「さまざまな身体特性の人たちが共に働く工夫と意義~NTTクラルティにおける障がい者雇用の取組みと課題~」 ・パネルディスカッション「日常生活での私達の工夫~片マヒ、弱視、知的障害の立場から」 第20回(平成30年度)2019(令和元)年7月19日(金) 誰もが活躍する共生社会に向けて ・「共用品推進機構を活用し、共生社会の実現を」 ・「障害者団体と企業が共に考え、共に創る共生社会~障害者権利条約羅針盤に、問われる関係者の連携と知恵~」 14~15ページ イベントとお薦めの書籍 イベント「本の街でこころの目線を合わせる」  このイベントは、自分の障害を漫画で表現している著者が、対談相手を選び、対話形式で行うイベントです。 神保町界隈に事務所がある合同出版社、神保町ブックセンター、共用品推進機構が会合を持ち、すすめていった企画です。 日本は障害者権利条約を批准し、障害者差別解消法を制定し、共生社会に向かう道は作られ始めましたが、 会話やコミュニケーションは目線を合わせて行われているか、行われている場合、こころの目線は合っているかと、 自分に問うてみても疑問符が浮かびます。  対談形式にすることを決め、マンガで自分の障害、疾病等を描いているの方々に声をかけ、「誰と対談したいか?」を聞き、 チラシにあるように、5名の方々に登場いただきます。今後も、このイベント、続けていけたらと思っています。 書籍1『アクセシブルデザイン』 著:佐川 賢(さがわ けん)、倉片 憲治(くらかた けんじ)、伊藤 納奈(いとう なな)  2001年に国際標準化機構(ISO)から発行されたガイドは、規格を作成する時に、高齢者並びに障害のある人達への配慮事項を「アクセシブルデザイン」の名称で示している。  主に記載されているのは、どのような分野でどんな身体特性のある人に、何を配慮したら良いかを示したものだが、その詳細に関しては、 個別製品規格、並びに複数の製品に関係する共通規格に、バトンが渡された。  その後、国立研究開発法人産業技術総合研究所に、人間工学を元に、アクセシブルデザインに関する共通規格を作るプロジェクトが結成され、 視覚的表示(文字、色・光等)、音・音声表示、触覚表示など、多くの規格が作られた。 それらの規格は、その後開発された多くの分野の多くの製品に応用され、障害の有無にかかわらず、共に使える製品が数多く創出されている。  この7月に発行された『アクセシブルデザイン』は、共通規格を中心に作ってきた3名による貴重な解説本である。 同書では、公的に発行される規格には記載されていない、作成時の背景や、使用時のコツなど重要な情報も紹介されている。 1章:社会的背景、2章:基本概念、3章:高齢者や障害者の不便さ、4章:複数の提示方法及び操作方法、5章:視覚特性と配慮、 6章:聴覚特性と配慮、7章:触覚特性と配慮、8章:認知特性と配慮、9章:標準化と普及、10章:ガイドライン 写真:書籍『アクセシブルデザイン』(エヌ・ティー・エス)32,000円+税 書籍2『「お手伝いしましょうか?」うれしかった、そのひとこと』 文:高橋 うらら(たかはし うらら)絵:深蔵(ふかぞう)  共生社会が国としての目標になって久しいが、果たしてどこまで到達しているのか? 本書は、共生社会の実現に向けての第一歩である「お互いを知る」のきっかけを考えるきっかけを教えてくれている。  8章構成で、1章から、目の不自由な人、車いすの人、赤ちゃんを連れた人、耳の不自由な人、外国人旅行者、お年寄り、ヘルプマークを付けた人、そして8章の補助犬ユーザーとなっている。  それぞれの章は、はじめにその章の対象となる障害者等の生活を、フィクションで紹介し、続いて同じくその章の対象者を手伝う方法が紹介され、 最後にその章で対象となる障害のある人へのインタビューでしめくくられている。  日本では、インクルーシブな教育が行われてきていなかったことで、障害のある人とない人とが、話す機会がほとんどなかったと言っても過言ではない。 そのため、この書で紹介されている人や、その人たちにどう話しかけたら良いかについて、自信の無い人は、この本が想定している年代よりも、むしろその上の世代に多いと思われる。  本書は言葉づかいも分かりやすく、さらに、イラストも多用されているので、どの年代にも読みやすく、また、読んでいただきたい書籍である。 写真:書籍『お手伝いしましょうか?』(講談社)1,450円+税 書籍3『わたしが障害者じゃなくなる日』 著:海老原 宏美(えびはら ひろみ)  2017年7月に行った共用品推進機構の事業報告会で、講演をしてくれた海老原宏美さんが、なぞかけのようなタイトルの本を執筆した。  彼女が主演した映画「風は生きよという」のタイトルが、彼女が着けている人工呼吸器から出ている音を風と表現していることを知った時には、言葉を失った。 一昨年の正月、彼女のマンションで「カオスの会」を行うのでよかったらどうぞというメールをもらい、のこのこでかけると、 2DKの部屋に、車椅子使用者数名も含む、40名ほどが集まっていた。 学校の先生、映画監督、タレント、などそれこそカオスの状況で、隣りあわせたのが、車いす工房「輪」を立ち上げた浅見 一志(あさみ ひとし)さんだった。 そして、彼と海老原さんに、「星川さん、共用品と言えば、福田 暁子(ふくだ あきこ)さん、えっ?会ったことないの?、それはいけない、一刻も早く会うべき」と言われたのも、その日だった。  今回、海老原さんの本の題名、「わたしが障害者じゃなくなる日」は、前作の自分紹介から一変して、社会への挑戦状になっている…と私は思った。 生まれつき脊髄性筋委縮症という難病で、人工呼吸器、電動車椅子、胃ろう使用の彼女が、医学モデルから社会モデルに、国連が決めたことを、そっとしかも力強く伝えてくれている。 しかも、分かりにくい「医学モデル」を、「個人モデル」に変えて紹介するなど、やられた!の一言である。 多くの人に読んでもらいたいお薦めの一冊である。 写真:書籍『わたしが障害者じゃなくなる日』(旬報社)1,500円+税 16ページ さまざまな工夫が 【事務局長だより】星川安之  数日前、食卓に見慣れないモノが置いてあった。高さ15cm直径4cmほどの筒状のモノは、ちょこんと行儀よく物静かにたたずんでいる。 上半分が透明、下半分が黒、恐る恐る手を伸ばして持ってみる。近づけて、上半分の透明な部分を見ると、何やら種らしきものが重なりあって収まっている。 食卓にある種と言えば、胡椒…ということは、胡椒入れ容器! 今まで見たことのある胡椒入れ容器には、上部に回すレバーがあり、 「このレバーを回してもらうと、中の胡椒の種が擦られて粉になって下から出てきますよ」と、表示も音声もなしに伝えてくれていた。 けれども、どこを見渡しても、レバーもなければ、レバーに回転させる機能もない。 では、中の胡椒は誰にどのように擦られるのだろう? 持っていると胡椒の種と容器の重さだけではない重量感があることに気づく。 なるほど、電池が動力となりモーターで刃を回転させ、胡椒の種たちを擦るに違いない。 ならば、必ずどこかにスイッチなるものがあるはずと、全身をくまなく見るが、何度見てもそれらしきスイッチがない。 ううむ…と、降参しようとしながら、右手で胡椒入れらしきモノを持ち、朝食に出されたサラダの皿に向けて上部を傾けた時、 「ブーン、ガリガリガリ」という音と共に、粉になった胡椒がサラダにまるで粉雪が舞うように撒かれたのである。  この夏「は」か夏「も」かも、はっきりしなくなった近頃の日本の夏の暑さ、さまざまな暑さ対策が目に付く。神保町にある牛肉面で有名な馬子禄店は夏でも行列ができる ラーメン店である。行列になると店の屋根から外れたところに並ばなくではならない。並んでいる人を熱中症にならなければいいなと横眼で見ながらの翌日、その並んでいる人が 同じ日傘をさしている。店の前に傘立てがあり、並んでいる人がさしているものと同じデザインの日傘がさしてあり「ご自由にお使いください」と書いてあった。  暑さ対策と言えば今年、街で手持ちの小型扇風機を使っている人を多く見かけた。 テレビでも報道され、ぬるま湯で顔を湿らせておいてからの手持ち扇風機は、熱中症対策になると解説者が言っていた。  そんな報道の翌日、表皮水疱症の友の会の宮本 恵子(みやもと けいこ)会長との会合があった。 札幌に住む宮本さんにとって東京の夏はきつかろうと挨拶すると、「星川さん、これ便利!」と見せてくれたのが、小型扇風機。 しかも、ヘッドホンのように、扇風機の羽の部分が両端に1つずつ、計2つついており、しかも首にヘッドホンと同じように巻くことができ、 片手で持つことが困難な宮本さんにも、便利と一目で分かる優れものであった。  最後は、横浜中華街にある中華料理店、萬珍樓 點心舗の地下1階にあるトイレの洗面所。 一つの洗面台に3つのスイッチがあり、それぞれのスイッチに手をかざすと、泡石鹸、湯、そして乾燥が、移動せずにできるようになっていた。  さまざまな工夫が多くの努力で作られている。 共用品通信 【イベント】 第20回活動報告会(7月19日) 共用品講座(7月31日、8月28日) 【会議】 第1回AD国際標準化委員会(7月30日) 第1回TC159国内検討委員会(7月30日) 表皮水泡症友の会 懇談会(8月8日) 【講義・講演】 消費生活コンサルタント養成講座(7月13日、星川) ニーズ型社会と新産業創出 早稲田大学(8月3日、星川) 障がいの理解と支援 早稲田大学(7月20日、星川) 日本発共用品、世界へ 早稲田大学(7月11日、星川) 跡見学園女子大学インターンシップ(8月5~8日、19日) 【報道】 日本経済新聞 「共遊玩具」(7月27日) 日本経済新聞 「ルーペ」(8月24日) 時事通信社 厚生福祉 「書籍 慢性疲労症候群になりました」 (7月2日) 時事通信社 厚生福祉 「日本の視覚障害者 2018年版」 (7月23日) 時事通信社 厚生福祉 「目の手術で実感した便利と不便」 (7月30日) 月刊トイジャーナル7月号「良かったこと調査と合理的配慮」 月刊トイジャーナル8月号「年代別の文字サイズ」 月刊トイジャーナル9月号「東京都障害者IT地域支援センター」 アクセシブルデザインの総合情報誌 第122号 2019(令和元)年9月25日発行 "Incl." vol.20 no.122 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2019 隔月刊、奇数月に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:http://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 山川良子 事務局 星川安之、森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、田窪友和 執筆 後藤芳一 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙デザイン ㈱グリックス 表紙 共用品推進機構 電話機  本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。 その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。